誰も信じられない…。
誰も信じたくない…もう信じないと決めたんです。
今まで…本当に信じた人っていたかな…?
いつから…人を信じられなくなったんだろう。
末っ子だったから…がんばった…
いっぱい、いっぱい…お母さんやお父さんのために。
たくさん我慢した…お兄ちゃんやお姉ちゃんのために。
信じてたから…もっといい子になりたかった。
でも、がんばってきたんだけど…
もう私…誰も信じられない。
きっと…信じてもらいたかったから、がんばったんだと思う…
でも、だめだったみたい。
こんな、私じゃ…みんな離れていくよ…
いったい…どんな人を信じたらいいの?
きっと…人を信じられない…
もう誰も信じられない…重症です。

もう誰も信じられない…Youです。

Youさんの小さい頃からの…
過去のトラウマですかね(泣)

むしろ…もう誰も信じたくない!
誰も信じられない…人間不信の私
小さい頃は、信じることができていたんです。
信じていたからこそ、大好きな人たちのために、がんばってきたんです。
信じてもらいたかった…誰も信じられない
一日一日…毎日毎日…
来る日も来る日も…
小学校も中学校も…
高校も大学も…
上京して就職してからも…
私は、きっと、信じた人から信じてもらいたかった。
だから…がんばれたんです。
でも、信じてもらえなかった…
信じても…裏切られることの方が多かった…
色んな事があったけど…
傷ついたけど…信じていたから
何も言わずに、胸の中にしまったんです。
でも…もうそんな自分も信じられません。
そして、もう誰も信じられないんです。
今では、“人を信じちゃいけない” …そう思っています。
完全に人間不信…重症ですね…。
信じていたのに…誰も信じない
実際、最近も…信じてもいい人かな?
って、思ったのに…
思いっきりの悪口と、ありもしない噂も流されちゃいました。
あっ!極めつけは…
私を娘のようにかわいがってくれていた東京のお母さんのような人…
信じていたし…信じてくれていると思ってた…
でも、まわりにまわって…いっぱい聞いちゃったんです。
「…ちゃんってさぁ、実は…」
「…ちゃんは、…なんだって」
「…ちゃん、本当は…って思っているのよ」
って…また、こうなちゃった。
こんな自分…
涙があふれて、鏡を見たって…
もう存在すら見えません。
本当に、心から思います…
人を信じてみたくなっても…
人を信じるって難しいですよね…。
人を信じられない…信じていい人はいた!

誰を…どんな人を…
信じていいの?
私も、どちらかと言えば…人間不信ですよ!
よく騙されてましたし(笑)
それに、意外と多いんです…
悪口…誹謗中傷を平気で言う人って(泣)
その相手がどう思うのか…
傷をつけようが…自分のことで精一杯なんだとは思いますが…
私の場合は、そんなことがたくさんあって…もう涙も枯れましたよ(笑)
人は信じられない…
ただ…もう誰も信じない…
そこまでにはなってないかもしれません(^^)
人間不信だからこそわかったこと
私の場合ですが、人間不信の世界で…
いくつかわかったことがあって…
かえって、人と信じあえる尊さや喜び…
自分がどうあるべきか…が、はっきりしました(^^)
『人を信じていくことは、必要なことだとわかった』
ひとりでもいい…人を信じていくから生きていける。
だってひとりでは生きていけないんだから。
『誰もかも、すべての人が同じじゃないことがわかった』
アメリカ人に騙されたから、アメリカ人はみなそうなのか?
確かに信じられる人は少ない…極少だけど、信じれる人はいないわけじゃない。
『騙す人や裏切る人、悪口を言う人ほど不幸になっていった』
そのときは、騙されたり裏切られたり、尋常じゃないほどつらいです。
でも、そのような人ほどかえって不幸になっていきました…かわいそうです。
『どういう人を信じていいのか…その基準みたいなことがわかった』
どういう人を信じていいのかがわからないのに、不安でもなんとなく信じた。
でも、その基準がわかって、だんだんと惑わされなくなって、安心できた。
『信じていい人の基準が、自分はこうなりたい…という目指すべき姿がわかった』
信じていい人は少ないけれども、傷ついた自分は、信じてもいい人の方になりたい。
そして、自分を信じてくれた人は、最後までとことん信じようと思った。
人を信頼する…慎重に。
では、人を信じること…
人を信じてみよう…
とは言っても…簡単にできることではないですよね。
むしろ、今の世の中では、簡単に人を信じてしまうと、今まで以上に大変になりそうです(泣)
人間不信MAXは間違いないかもしれません。
ですから、まず一番は…
できる限り“慎重”という姿勢の方が良いのかもしれません。
“人を信じる”ということは、とても大切だけれども…
すべての人を信じるということも違うし…
頭から全面的に信じていくということも違うし…
今まで信じてきたのだからこれからも信じなければいけない…
ということもまた違うし…
いったい、どうしたらよいのか…
一から、考えてみましょうか?
簡単に、人を信じてはいけない
そもそも…どのような基準で、どんな判断をして…
- 私たちは、人を信じているんでしょうか?
- 見た目でしょうか?
- それともイメージでしょうか?
- 地位や名声とか権力やお金でしょうか?
私たちは、いったい、どのような人を信用したり信頼したりしてきたのでしょう…
私は、“経験”…自らが生きてきたその“経験”や“体験”によって基準ができ判断していると考えています。
見てきたこと…聞いてきたこと…
また、されたこと…そして思ったこと…感じたこと…
などなど、自分自身が生きてきたその経験や体験をもとにして、意識的にせよ無意識にせよ、総合的に合わせて、判断をしていると思っています。
たとえば…
- 信じた人に裏切られたり、思わぬ人に傷つけられたりすれば、その経験を元に…
「人を信じたって無駄なのかもしれない」
「人を信じたら傷つくことばかり」
というように、ほとんどの人を信じられなくなっていくでしょう。 - 人に騙されたり、良かれと思ってやったことが間違いだったりすれば、その自分が経験したことから…
「絶対に騙されたくない…人なんか信じるもんか」
「良い話…良い人というのは、口がうまい、疑ってかかれ」
といったことになるでしょう。 - 裏切られたり、騙されたり、傷ついたり…といった経験や体験がなかったとしても、毎日のように…
「あんな立派な人が…とか、あの有名人がまさか!」
「人として、とても信じられない…なんで!」
といった様々なことが、世の中に起こっていて、私たちの耳に入り、目に飛び込んできます。 - 本来であれば、むしろ、信じなければいけないような職業の人や身近な人までもが…
「裏の顔が…もう一つの顔があったのか」
「導き守ってあげる側の人がなぜ?」
ということさえ、今起こっているわけです。
今現在、Youさんのように、とても傷ついて人間不信な人でも…
またそうでない人であっても、簡単に…安易に…人を信じてはいけない…
そういう世の中になってしまった…
本当に残念なことです。
きっと、心の奥底では、この人を信じても良いかなぁ…
あの人を信じてみようかなぁ…と思いながらも…
怖いし、できない…
どうしても信じられない…というのが本心なんですが…
このような、世の中ですから、当たり前なんですよね(泣)
やっぱり簡単には、人を信じちゃいけない…ということです。
でも、すべての人が信じられないのか…
もう誰も信じちゃいけないのか…
というと、そうではない…と思うんです。
本当に信じてもいい人…その基準みたいなものがあるんです。
信じるに値するという人とは…どのような人のことを言うのか…ということです。
一緒に見ていきましょう!
人を信じられないけど、信じられる人
本当に信じていい人…
そんなに多くはいないと思います…極少です。
では、基準…どのような人なのか?
一番最初に…すべての人々が尊敬するべき3つの性質・力です。
「主師親」といいます。
- 主とは、“主人”です。
そのままお伝えすると、力をもって私たちを支配・守護する働きです。 - 師とは、“師匠”です。
これは、私たちを教え導くといった指導性の働きです。 - 親とは、“親”です。
まさに、親のごとくに私たちを慈しみ愛する働きです。
この3つが、私たちが尊敬するべき性質や力なんですが…
実は、よく考えてみると、この3つ以外に…
今までも尊敬していなかったし、これからも尊敬していく
…いつまでも変わらない性質や力ということがわかります。
ところが、とても重要なのが…
「主師親」の3つは、それぞれ単独に見てしまっては大変なことになるんです。
たとえば、世間において考えてみた場合…
- 親であっても…
そこになんの力も威厳や指導性もなく、ただ子供を溺愛するだけの親であるならば、ある意味、子供を傷つけたりすることはないにしても、子供を一人前に育てる…というのは、なかなか難しいです。 - 力ある一家・一国の主となっても…
そこに関わる人に対して慈愛する心が欠けているならば、いわゆる専制君主や暴君となって、恐怖させてしまうことは歴然です。 - 師たる立場の人であっても…
正しいか間違っているか、良いか悪いか、損か得か…などを、正常に判断する力が欠けているならば、そこに連なっている人たちも、必ず苦しむ結果となってしまいます。
このように考えたとき、一つだけ備えている…
たとえ、たった一つだけ抜きに出ている人だととしても…
逆に、よく見極めて、惑わされないようにしたいと思います。
現在、家庭や職場といった環境に…
周囲の人々から慕われて尊敬されている人も、実際たくさんいると思います。
そうした人たちは、この性質や力のひとつひとつを備えていると思われます。
でも、完全無欠に三つ備ってる…という人が、いるかというとどうでしょう…(泣)
なかなかいないのが現実ですが…
この3つを合わせて持ちたいと努力している人や、少しずつでも合わせて持っている人はいるんです。
信じてもいい人の一つの基準とは…
まずは、「主師親」という3つの性質・力…
それも、できるだけ総合的に見ていく…ということが、最も大切なことだと思うのです。
『木を見て森も見る』
そのようなイメージでしょうか…(^^)
誰も信じられないけど、心から信じてもいい人
信じてもいい人…
まず、「主師親」という“木”と“森”のお話をしました。
最後は、信じてもいい人の必要不可欠な…土地・土台ともいうべきお話です。
私たちが本来、人として持つべきであり、目指すべき“精神”があります。
「自利利他」といいます。
簡単に言うと、自分自身も努力して幸せになっていくのはもちろん、さらに、他の人々が幸せになるために救済を惜しまずにしていく…ということです。
言葉では…なるほど…と思うのですが、実際…
簡単なようで難しく、このような人は、なかなか、いそうでいないのが、現実です。
また、一見そのように見える…思える…という場合もありますが…
なかなか、本当のところはどうなのか?…ということもあります。
「あの人はいい人そうだ…」
「自分のことをとても考えていてくれる」
「この人だけは私のことを思ってくれる」
と感じることもあるかとは思いますが、本当の“心”や“姿”は簡単には見えません。
ですので、ここで、大事なのは、「自利利他」ということから…
まず、その人が幸せなのか…また、幸せに向かっているのかどうか…ということが、肝心です。
現在…または近い将来に、自分自身に“利=幸せ”というものがなければ現実的ではないんです。
そして、もうひとつ大事なことは…
いくら、“世のため人のため”とは言葉では言っていても…
その人が本当に他の人の幸せのために救済しているかどうか…ということです。
単に、応援している…とか、声をかけてくれる…とか、優しくしてくれる…とか、ではありません。
では、どのようなことなのか?
それは、“苦しみを取り除き、楽を与える”…
悩みや問題など、現実の苦しみを解決して、生きる喜び…幸せを与えるということです。※「抜苦与楽」といいます。
言葉や振る舞いによって、応援したり励ましたり優しくしたり支えたり…
そのようなことは大切ではありますが、それだけでは抜苦与楽とまではいかないんです。
やはり、現実に、目の前の問題や今まで悩んできたこと…
その一つひとつの“苦しみ”というものを解決して、乗り越えていく…
その先に本当の“楽”…幸せが待っているわけです。
Youさんの…“あなた”の…
その“苦”を現実に解決しようとしている人…
そして、一緒になって取り除こうとしている人…
そのようなことが“抜苦与楽”で…
そのような人が“自利利他”の精神をもった人なんです。
この“自利利他”というのが、先の“主師親”という木や森の土地・土台にあたるものです。
『木を見て森も見る』…土地も見ないと、やがて木は枯れてしまいます。
そうして見ていくと…
信じてもいい人って…
やっぱり、とても極少かもしれません。
でも、けっして、まったくいないわけではないんです!
心から信じてもいい人…
土地も見て、木も見て、森を見たら…
必ず、これからいるはずです。
もしかしたら、わからなかっただけで、
すでに、近くにいるかもしれませんね(^^)
もちろん、簡単に人を信じてはいけませんし…慎重にです。
しかし、誰も信じないのではなく、
信じるに値する人がいたならば、信じてみましょう!
そして、私がそうだったように…
信じてもいい人の方になりたい…
信じてもらえるような人に…
これから、一緒に生きていきませんか?

人間不信で、もう誰も信じられない私が
信じてみようと思った!そして、本当に
人から信じてもらえるようになりたい!
こんなことって…奇跡です(^^)
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