生きる意味がわからない…
今日も…会社からの帰り道、いつものように電車に乗って、いつも行くスーパーで夕飯を買って…
自宅までの暗い道で、ふと…
「なんのために生きているのか…」
「何が楽しくていきているのかわからない…」
そう思ってしまいます…いつも。
自宅に着けば…
テレビをつけて…ごはん…ごはん。
フェレットの“なな”にも…おやつ…おやつ。
これから…
嬉しいことも、楽しいことも、喜びも、やりたいこともなにもない…
ただ、このまま…生きていけばいいのかなぁ…
そもそも…“生きる意味”もわからないし…
“人生の目的”もわからないんです。

なにが楽しくて生きているのかわからないYouです。

生きている意味がわからない…

何のために生きているのか…
死ぬためですか?
生きる意味がわからない私
何が楽しくていきているのかわからない…本音です。
本当に、今までもなにもないし…
今でもなにもない…
きっとこれからもない…
「何のために生きているんだろう…」
毎日がそればかり。
たとえば、
- 楽しいわけでもない仕事を淡々とこなして、終わったらまっすぐ家に帰る
- 食事はコンビニ、スーパーで買ったものを家で一人で食べる
- 休日、なにも予定がないし、ただ家で寝てるだけ
- 会社と家の往復しかしない単調すぎる生活
- 楽しい、嬉しいと思えることがない
- やりたいことがない
私はこんなとき、なぜ自分は生きてるのか…
生きる意味がわからない…
人生の目的もないのに…
無性に、死にたくなります。
ただただ生活するためだけに生きてる毎日…。
特別なこともないし…
特別な能力もない。
何に向かって生きていくのか…
何が人生のゴールなのか。
ただ生きているだけ…
死ぬために生きてるのかもしれないって思ってしまいます。

生きる意味もわからない…
人生の目的もわからない…
だから…死にたくなるんです
生きる意味がわからないの…忘れているだけ

実はもう…誰もが
知っているはずなんです!
私たち人間が生まれてきて…この世の中において…
生きる意味・人生の目的とは…いったい何なのか…
この人生における原点とも言うべき根本的命題は、古来の昔から…
思想家や哲学者の間で論議され続けてきましたよね。
- ある者は「死ぬために生きていくのだ」と論じ…
- ある者は「食べるために生活し生きていくのだ」と論じ…
- また、ある者は「私たちは単に創り出されただけで、目的などない」と論じ…
いっこうにどのような人でも納得できるような解答が…ありません。
では、やはり、答えはでないのか…というと、そうでもないんです。
生きる意味がわからない…もう知っている
様々な道理…理由や根拠…というものがあってそのように言えるのですが…
ここでは、簡潔な表現を用いるとすれば、それは…
生きる意味…人生の目的とは“幸福”なりと言えるんです。
それは、私たちが、生まれたときから…赤ちゃんの時からの行動をよく観察してみるとわかります。
たとえ…どんな子だろうと…
いかなる人であろうと…
無意識のうちに、誰しもが“より高い価値”や“より勝れた幸福生活”を求めて行動し、生活をしています。
生まれたばかりの赤ちゃん…
もっと早く歩きたい…
もっとたくさん欲しい…
“今よりもっと!”…を、ごく自然に求めています。
これは、私たち人間が“本然的”に幸福というものを目指している証拠といえるんです。
逆に、赤ちゃんの頃、小さい頃から…
もっと悪くなりたい…もっと不幸を求めて…
そのように生きてきた人は絶対にいません。
生きる意味がわからない…迷い見失う
目指しているはずの“幸福”が…
いつしか、迷って、見失ってしまうときがきます。
たとえば、その幸福といっても…
個々人によって幸福の基準…幸福観が、それぞれ異なってくるようになります。
- 「もっと有名になりたい…もっと上に立ちたい…社会的地位や名声を得ることが幸福だ」という人
- 「世の中、お金がすべて…もっと金が欲しい…巨万の富を得ることが幸福だ」という人
- 「健康第一…これからも健康に恵まれ、平凡な一生を過ごすことが幸福だ」という人
このように、その目指している幸福観に大きな違いが生じてくる…といった具合です。
この“幸福”というものが、その人によって違う…ということは…
言い換えれば、“幸福”ということが明確ではない…
生きる意味…人生の目的は“幸福”だ…とはいえ、迷って見失ってしまうのは…
その目指す幸福…というものが、はっきりしていないからなんです。
そうして、どんどん迷ってしまうと…
“幸福”を目指している本来の自分を、だんだんと見失ってしまい…
自分以外、周りはみんな幸せそうに見えて…悩んでばかりの状態が続くようになり…
日頃の生活においても…何も満たされなくなってしまいます。
“本然的”に幸福を目指している本来の自分を見失しまっていけば…
だんだんと、自分の中から自分というものがなくなっていく感覚さえありませんか?
そうなっていけば…
何のために生きているのか…
生きていく意味はない…
人生の目的はない…
何が楽しくて生きているのか…
死にたい…そのような思いになってしまうんです。
しかし、だからといって、もうダメなのか…
というと、そんなことはないんです。
なぜなら、その幸福を目指している本来の自分…
それは本然的に存在していて…
けっして、なくならない…からなんです。
生きる意味がわからない…忘れているだけ
幸福を目指していること…
その目的は本然的なものだから、けっして、なくなることはありません。
いくら、なくなったように思えても、どんなに消そうと思っても…
私たちの中には…
“より高い価値”や“より勝れた幸福生活”を求めているという…
本然的に…その幸福を目指す…
その目的を持った本来の自分は永遠に存在し続けているんです。
ですから、Youさん、大丈夫です!
忘れているだけなんです(^^)
その本来の自分が、なくなるとか消えるとか、それこそ負けてしまうとか、絶対にありえないんです。
どんな人でも、その人の中に、忘れていて、記憶もない…
たとえ、そうであっても…必ず“幸福”を求めている本来の自分は存在し続けているんですね。
まずは、そのことを知ってください!
そして、では、これからどのようにしていけばよいのか…
Youさんが、せめて、もう迷わずに見失わないように…
生きる意味であり、人生の目的である“幸福”を…
明確にしていければと思います!
生きる意味・目的の“幸福”…3つしかない
幸福について…幸福感について…
どこでも、だれでも、本当にそれぞれ異なっているのが、今現在の世の中です。
時代が進むにつれて、世の中は多様・複雑になり、政治や文明は凄まじい進歩と発展をしてきました。
遠い昔は…その幸福観というものはどうだったのでしょう…
きっと、今現在とはまったく違ったのではないでしょうか。
しかし、だからこそ、もう一度…
昔も今も変わらない“幸福”について、立ち返っていくことが大事だと思います。
それは、当たり前といえば…当たり前なんですが…
3つに分けられます。
むしろ、幸福とは、この3つしかありません。
私たちが無意識に、本然的に、求めている3つを…
“三つの財(たから)”といいます。
〇身の財(みのたから)→健康面での安心
〇心の財(こころのたから)→精神面での満足
この3つが、昔も今も変わらない、より高い価値やより勝れた幸福生活の根本…
私たちが目指している“幸福”の本質です。
そして、世の中の多くの人は、自力でこの3つを揃えて得ることはとても難しい…
もし仮に、現在、得ていたとしても、長い間にわたって、この3つを先々まで変わらずに得ていくことはとても至難の業なんです。
実際に、幸せそうに見える人の内側に入ってみると…
- たくさんお金を持っているのに家庭不和だったり…
- 家庭が円満でも病気だったり…
- 成功し悠々自適な生活をしている人が一気に転落してしまったり…
など、この3つを揃えた人ってなかなかいないのが、現実なんです。
でも、難しいとはいえ、この3つをそれぞれ求めていく、…ということは、とても大事なことです。
漠然とした“幸福”ということ目指すのではなく…
- 蔵の財(くらのたから)である経済面の安定
- 身の財(みのたから)である健康面での安心
- 心の財(こころのたから)である精神面での満足
を、それぞれ少しでもいいから、求めよう
ということが、一日一日の中で大切なんです。
生きる意味・人生の目的…3っの“幸福”を書き出そう
この、“三つの財(たから)”というのは、よくよく見てみると…
とても大きいこと、とても難しいことではありません。
ノートに書き出してみるのも良いと思います。
- 経済面の“安定”は?
- 健康面での“安心”は?
- 精神面での“満足”は?
けっして、なにか特別なものでもなく、誰もが、目指すことができる“幸福”だと思います。
生まれた頃から、人生の目的である幸福を求める本来の自分…
忘れていただけで…
生きる意味…本来の自分が、すでに知っているはずなんです!
Youさんも、まずは、本来の自分と向き合いながら、求めていきましょう!
ゆっくりでもいいんです…
必ず、“生きる意味…人生の目的とは幸福であること”を実感できるようになりますから(^^)
一緒に生きましょう!
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